キルギスからの便り(2) バイリンガルは当たり前

在キルギス共和国 倉谷恵子

 バイリンガルやトリリンガルがもてはやされたのはひと昔前のことだろうか。日本でも国際結婚が増えたし、両親が日本人でも海外で幼児期を過ごした人は多いから、多言語を話せることはかつてほど珍しいことではなくなった。それでも2カ国語以上を操る彼らに少なからぬ羨望のまなざしが向けられていることは間違いないだろう。

 言語の習得には近道がなく、粘り強く覚えて、使って、慣れなければならない。大人たちは「覚え方」を工夫しながらもがくが、記憶力は子どもの頃より明らかに低下しているから「使って慣れる」前に挫折する。外国語への関心は高まるのに能力が追い付かないジレンマにさいなまれ、物心つかないうちに「覚える、使う、慣れる」を同時進行させて多言語を身に付けたバイリンガル、トリリンガルをうらやむのだ。

 かく言う私も1年近くロシア語圏に滞在していながら、「頭がかたくなって言葉を吸収できない」などと言い訳をして勉強を怠っているから、ロシア語力は一向に伸びない。

薬局の看板。緑の十字の右側文字は上半分がキルギス語、下半分がロシア語でいずれも「薬局」の意味。

 キルギス人の多くは、公用語のロシア語と国語のキルギス語を話すバイリンガルである。1991年に旧ソビエト連邦から独立したとはいえ、19世紀からロシア帝国が支配を続けてきた中央アジアでは今なお政治的、経済的にロシアの影響力は強く、言語面にも影響は色濃く残っている。お隣のカザフスタンも公用語はロシア語、国語はカザフ語だ。

 日本語だけを話せばそれなりに生きていける日本人にとって、2カ国語を使う環境は想像しにくいと思う。バザールや乗り合いバスのなかでは両言語とも耳にするし、隣にいる人がつい今し方までロシア語を話していたと思ったら、次の瞬間にキルギス語を話し始めるのも日常茶飯事だ。

 あらかじめ断っておくと、ロシア語とキルギス語は使う文字こそ同じキリル文字だが、文法も発音も異なる言語である。例えば「こんにちは」を「ボンジュール」と言うフランス語と「ボンジョルノ」と言うイタリア語のように、似ていて覚えやすい言語ではない。ロシア語と日本語の間に共通点を見出すことはほとんどできないが、キルギス語は助詞を使うことなど日本語と似た部分も多い(らしい…キルギス語を学んでいない私は確実なことを言えない)。

ヨーグルトのパック。ロシア語(左)とキルギス語(右)で、健康に良いケフィール(ヨーグルトの一種)という意味が表記されている。

 ロシア語もキルギス語もできないまま現地に入った私は当初、目の前で話されているのがどちらの言語なのか区別できなかった。1年が経った今ではさすがに違いが分かるが、慣れないうちはどちらも「外国語」の一括りで耳に入っていた。

 もうひとつ、区別がつかなかった理由がある。ホームステイ先の家庭で、おじいちゃんとおばあちゃんは普段キルギス語を話し、お父さん、お母さんはロシア語またはキルギス語、子ども(孫)たちはロシア語を使っており、おじいちゃん、おばあちゃんがキルギス語で話しかけ、孫たちがロシア語で答える場面が頻繁にあったのだ。

成分表示の面にはキルギス語(上半分・KG)とロシア語(RU)が並記されている。どちらも日本人にはなじみの薄いキリル文字で区別がつきにくいが、キルギス語にはロシア語のアルファベットには無い文字もいくつかあるので、見慣れると区別がつくようになる。

 会話は同じ言語で成り立っていると思い込んでいたから、孫たちの会話に出てくる簡単なロシア語なら少しは聞き取れるレベルになってもなお、おじいちゃん、おばあちゃんの言葉が理解できなかった私は、彼らのロシア語は訛りが激しいのか自分の耳がおかしいのか、と考えあぐねたものだ。

 おじいちゃん、おばあちゃんはキルギス語を話すと書いたが、彼らも家族や親戚以外と話すときはロシア語を使っていたし、逆に孫たちの口からごくまれにキルギス語が出ることもあった。

 キルギス人が両言語をどのように使い分けているかを説明するのはむずかしい。年齢や住んでいる地域、民族、教育を受けた学校などの違いにより差があるからだ。

 外国人の場合、ロシア語かキルギス語のどちらか一方が話せれば日常生活に困ることはない。店の看板や商品の表示など街を歩いて目に入る言葉は基本的にロシア語なので、習得すべき優先順位はロシア語の方が高いが、文法がかなり複雑で身に付けるには時間がかかるので、日本人にとってはキルギス語を学ぶ方が手っ取り早いかもしれない。念のため付け加えると、ホテルや空港、旅行会社以外で英語はほとんど通じないのでご注意を。

 キルギスにはロシア語で授業を行う学校とキルギス語で授業をする学校があり、どちらの学校も科目としてはロシア語とキルギス語の両方を学ぶ。私が勤めている学校ではロシア語で授業が行われており、生徒の休み時間のおしゃべりもほぼロシア語である。教員間でも多くはロシア語が話されているが、キルギス語が話しやすい教員同士はキルギス語を使っているようだ。

 キルギスにはロシア系住民が6%程いるとされる。私が住む地域ではそれより多くの割合でロシア系を見かけるが、彼らがキルギス語を話す姿は滅多に目にしない。

 小学生のうちは生徒間で民族に関係なく付き合って遊んでいるようだが、中学生以上の学年を見ると、いつも一緒にいる親友ができ始めるようで、ロシア系は同じロシア系の生徒と行動を共にしている例が多いように感じる。あくまでこれは私見だが、日常的に使う言語が友達づくりにも多少関わっているのではないかと推測される。

 ロシア系住民は両親ともロシア語で話す家庭で育ち、学校もロシア語となれば、キルギス語を使う機会は少ない。気のおけない会話をするならロシア語を使う者同士で集まるのも自然だろう。一方キルギス人の家庭は両親や祖父母がキルギス語を話すから、子どもは自然とキルギス語を覚え、学校へ上がる前に近所のキルギス語の家庭の子供同士が幼馴染になり、学校ではロシア語で先生や新しい友達と意思疎通を図る「両刀遣い」になる、という構図だ。

 ではロシア系以外のキルギス人の子どもは皆、キルギス語とロシア語の両方を話すのかというと、そうとも限らない。首都ビシュケクでは両親がキルギス人であっても日常的にロシア語だけを使う家庭が増え、ロシア語しか話せない子どもも多いという。適切な例えではないかもしれないが、日本でも地方から東京へ出てきて家庭を持った大人が方言を使わなくなり、生まれた子どもも方言を知らないまま標準的な日本語を話すようになる場合と少し似ているかもしれない。

 一方で農村部では子どもから大人までキルギス語を日常的に話す人が多い。首都ビシュケクとその近郊の通りですれ違う人々の口から聞こえてくる言語がロシア語とキルギス語が半々の割合だとすると、農村部では九割がキルギス語のように感じる。

 夏休みに二週間ほど、イシククル湖周辺の農村に滞在したが、ほぼどっぷりとキルギス語の世界に浸った。その農村部でも、会った人全員が外国人の私に対してロシア語で話してくれたし、旧ソ連時代に教育を受けた年配者にはむしろロシア語が達者という人もいたから、両言語の使い分けを明確に表現することはむずかしいのだ。

 さらに面白いことに、キルギス語で会話が進んでいる途中で、接続詞にロシア語が挟まれる場面に出くわすこともある。日本語と英語に置き換えれば「今日彼女とお茶を飲んでいたら、突然彼女が店を出て行った。ビコーズ(because)彼女が機嫌を損ねた(から)」という具合だ。日本語の中に英語の接続詞が入ると違和感があるが、キルギス語にロシア語が入ることは無理がないようだ。

 日本語にしても、「興味のない話題はスルー(through)していいよ」という風に英語を取り込むなど以前ならあり得なかった言葉遣いも今日では許容されているのだから、頻繁に耳にする外国語を自国の言語に取り込む傾向は世界共通かもしれない。

 2カ国語が当然の国に身を置くと、いつの間にかバイリンガルに対するうらやましさは消えていた。もちろん複数言語を使いこなす能力に感心はする。だが2カ国語を使わざる得なかったキルギスの歴史を思えば、うらやむことはできない。公用語のロシア語はロシア帝国やソ連がキルギスを統治していた過去の遺産であり、彼らが自ら求めた言語ではないからだ。

 キルギス人の多くは私のような外国人が片言でもキルギス語を話すと喜んでくれる。やはり祖国の言葉を大切に思う気持ちがあるのだろう。

 侵略され、統治した国の言語を今も公用語とする国は数多い。日本人は外国語(多くの場合は英語)の習得に躍起になる前に今一度、日本語だけで生活できる環境の稀有さを実感して良いと思う。「1つの言語しか話せない」のではなく、「1つの母国語だけで生活ができる」ととらえるのだ。

 日本語だけで事足りるのは、異国による言葉の支配を受けなかったためだけでなく、明治期に海外から多くの新しい技術や概念が入ってきた時にも、先人たちが腐心して新たな言葉を作り、日本語を常に刷新する努力を積み重ねてきたからだ。

 この国で日本語を教えながら同時にロシア語を学び、キルギス語を聞き、キルギス人の生活を間近にしながら感じるのは、日本語がいかに諸外国の言語と比べて独特であるか、ということだ。言葉にはその国の文化や生活習慣、自然観、宗教観が反映されており、他国の言語と一対一の関係で置き換えることはむずかしい。日本人が日本語を教えることは一見簡単そうだが、実はこれまで当たり前と思っていた自国の生活を改めて見直し、日本を知らない海外の人々にどう伝えるかを考えなければならない。

 日本語の独自性は日本人の生活もまた固有のものにし、文化だけでなく経済や産業にも大きく関わっていると感じる。それは具体的にどういうことなのか。次回以降に記したい。