揺らぐサムスン共和国:イスラエル企業のM&Aに注力するサムスン電子
国士舘大学経営学部客員教授 石田 賢
サムスン電子はイスラエルのスタートアップに熱い視線を投げ掛けている。これまでスタートアップのメッカといえば米国・シリコンバレーであったが、ここ数年イスラエルに注目している背景は、経済産業省傘下のイスラエル イノベーション庁(IIA: Israel Innovation Authority)が司令塔として、全てのスタートアップの創出支援をしているためである。
スタートアップを生み出すには、まず資金面のサポートが不可欠である。イスラエルの仕組みは、経済産業省管轄機関であるOffice of the Chief Scientist(2017年から本格的活動)の「Technological Incubator Program」が選定したプロジェクトに対して、研究開発資金の85%の補助金を提供するだけではなく、研究施設の提供、経営にかかわる支援、法務、工業所有権に関する支援、秘書的業務、経理など諸サービスが提供される(JETRO「イスラエル企業連携調査成果報告書」2018年2月)。
残りの15%は、政府のファンドを運用するベンチャーキャピタルが負担することになっている。つまりイスラエルでは、民間が投資しにくいハイリスクなR&D投資にも政府が間接的に参加していることから、スタートアップに選定されれば、資金面のサポートは確立されている。
資金面にとどまらずイスラエルは「大学内技術研究所」(OTT :Office of Technology Transfer)を通じて幅広い産学協力体制を創り上げており、ここが必要に応じてスタートアップに対するテクニカルサポートをする。大学の研究所が、スタートアップ創出のためのバリューチェーンの一翼を担っている。
これらの支援によりイスラエルのスタートアップは、2年以上技術開発に専念できる環境を享受し、この結果、毎年1,000社前後のスタートアップが生まれている。昨年末までにイスラエルのユニコーン企業(評価額10億ドル以上の非上場で設立10年以内のベンチャー企業)だけでも20社余りに達している。
サムスン電子は戦略革新センター(SSIC: Samsung Strategy & Innovation Center)の傘下に、サムスンカタリストファンド(2015年に設立したイスラエルのスタートアップ支援ファンドSamsung Runwayを2019年6月に吸収)、サムスンネクストファンド、サムスンベンチャー投資などがあり、これらの機関が大型M&A案件や資本出資に係わる情報収集・分析評価している。
サムスンカタリストファンドの場合、毎年数百社のスタートアップを分析・評価し、2013年の設立以来、スタートアップ40数社、投資総額は20億ドルに達し、昨年の投資額合計3億ドルのうち4分の1がイスラエルのスタートアップへの投資や共同出資に集中していた。

図表 サムスン電子の主要イスラエル スタートアップ投資の現況
資料 : ヘラルド経済(2019年5月14日)に加筆・修正
サムスンベンチャー投資も、これまでにイスラエル企業15社に投資した実績を持つ。金額的に大きいのは、2019年1月に1億5500万ドルで買収した「コアフォトニクス(2012年にテルアビブ大学の電気工学教授であるデヴィッド・メンドロヴィッチ氏の創業)」である(図表)。コアフォトニクスは、スマートフォンカメラの光学ズーム分野で多数の特許を保有している。この4月には貨幣を安全に保管する暗号化技術を持つZenGoに400万ドルを共同出資している。
サムスンネクストファンドは今年3月、イスラエルの電装スタートアップ・ブロードマン17《AI基盤ADAS(高度運転支援)開発技術》に1,100万ドルの投資規模のうち100万ドル出資した。
スタートアップに積極的に投資ができるのは、サムスン電子の豊富な資金にある。2018年末現在、現金保有額は104兆㌆(約9兆6000億円/100㌆=92円で換算)に達する。しかし、M&Aの成功率は一般的にも決して高くなく、たとえ事業として軌道に乗ったとしても、資金回収が順調にいくとは限らず、しかもシナジー効果を生むまでには相当な時間がかかる。
このためスタートアップへの共同出資や買収には中長期的な経営を求められるが、1年単位の収益を重視するサムスン電子では、具体的な成果が得られるまでジッと待ち続けられるのか、買収活動をしている専属機関と現場組織との意思疎通が十分行われているのか等々、問題は多い。サムスン電子の現在の姿は、内憂外患の危機の中で投資がやや委縮気味であるものの、イスラエルのスタートアップに対してだけは積極的な活動をしており、このことが次世代事業の発掘への焦りと切迫さを浮き彫りにしている。