とやまの土木-過去・現在・未来(8) 河川からみた富山の歴史

富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科准教授 手計 太一

 富山県立大学に赴任する直前、恩師から「富山は治水治山で生まれた県だから、富山で治水の研究をするとは研究者冥利に尽きる」と言われたことを思い出します。

富山県置県の歴史(富山県のパンフレットに一部筆者が加工)

 富山の置県の歴史は、もちろん富山県民はご存知の通り、と書き出したいところですが、県民・市民向け講演など私の経験上、シニア層でも全く知らない、もしくは詳しく知らない県民が意外にも多く、数年前に、ある県内高校での模擬講義の際、若い高校の教諭も知らなかったことにはとても驚きました。土木に限らず、歴史は単なる過去のものではなく、未来へ続く重要な基盤ですから、低年齢の教育面から富山の置県の歴史をしっかり学ばせる機会を設けてほしいものです。

 さて、富山県は2019年(令和元年)5月9日で置県136周年を迎えました。1871年(明治4年)7月14日に藩がそのまま県になり(廃藩置県)、現在の富山県は金沢県と富山県に分かれました。翌1872年(明治5年)9月27日には現在の富山県は新川県になり、1876年(明治9年)4月18日に石川県に併合されました。石川県会において、土木費の配分をめぐって、加賀・能登の議員は道路改修、越中の議員は治山治水を主張することで両者の対立が強まり、分県運動が活発化しました。そして、遂に1883年(明治16年)5月9日に富山県が設置されました。水災害から地域を守るために生まれたのが富山県でした。

富山の水害と闘った人々の知恵

城西用水の川底に見ることのできる佐々堤の一部

 戦国時代の常願寺川は、出水のたびに馬瀬口(旧大山町)あたりから溢れ、富山城下を水浸しにしていました。1582年(天正10年)に富山城主となった佐々成政(1536もしくは1539~1588)は、このあたりに堤防を建設させたとされています。これが「佐々堤」と呼ばれ、現在の城西用水の川底にその姿を見ることができます。

 江戸時代、富山藩の6代藩主前田利與が水防林として植林したのが「殿様林(とのさまばやし)」です。当初は約6haもあったと言われている松林は、その後の洪水で一部は流出し、さらに戦争中にほとんどが切り倒され、現在は100本ほどが残っています。

雷鳥大橋左岸側袂より臨む殿様林

 いずれも現在は、殿様林緑地公園の一部として多くの市民に利用されています。周辺には歴史案内が掲示されていますので、かつての為政者たちの努力を探求してみてください。また、富山城のお濠の石垣のほとんどは,常願寺川が流下させた石礫を利用していると言われています。

 話題を呉西に移しますと、庄川合口ダムから少し下流にある弁財天公園近くに「松川除(まつかわよけ)」と呼ばれる堤防補強のための松の林が残っています。瑞龍寺、高岡町、砺波平野の安定化のため、1670年(寛文10年)、加賀藩は千保川など西へ流れていた複数の小河川を東へ移し庄川の流れを1本にする工事を開始しました。堤防の長さは約2km、45年の歳月をかけて、1714年(正徳4年)に完成しました。しかし、抜本的な砺波平野下流域の安定化は、1900年(明治33年)~1912年(大正元年)の庄川・小矢部川の分離改修まで待つことになります。

松川除堤防と御川除地蔵の案内

 庄川において組織的・大規模に行われた河川工事は、「柳瀬普請」と呼ばれる水防工事でした。普請とは、仏寺やその附属施設等の建築や改修などの労務に従事してもらうことを指し、一般に建築・土木の工事そのものを指すこともあります。ここでは、柳瀬における土木工事といったところでしょう。千保川からの水が増仁川へ入り、加賀藩2代目藩主前田利長の菩提寺として建設中であった瑞龍寺へ迫っていたため,現在の砺波市柳瀬の西側で水防工事を行いました。

 戦国時代の武田信玄が考案したと言われている霞堤ですが、黒部川を代表に県内でも霞堤が存在しており、広くPRされています。霞堤とは、二重になった堤防が不連続につながっています。大きな洪水によって内側の堤防が切れても、外側の堤防で溢れた水を防ぐことができます。遊水地に浸水させる目的があるので、堤は高くなく、上流の氾濫を下流の霞堤で吸収することが出来るため、被害軽減に有用と考えられています。

 また、普段は周辺の田畑や排水路の排水が容易に行えるといった利点もありますが、同時に、内水氾濫が発生しやすいという欠点もあります。さらに現代においては、例えば黒部川の愛本橋付近から堤防道路を車で下ると、何回か迂回をするような運転をしなければならず、霞堤の効果を知らない人にとっては煩わしい道路かもしれません。

 私は県内の河川における霞堤は、霞堤の効果は期待できたものの、それを期待して建設したものはないと考えています。当時の河川沿いに散らばる集落のそれぞれだけを浸水から守るために堤防を建設し、一番堤、二番堤となっていたものが、結果的に霞堤化したものと推察しています。

神通川改修と富山市の発展

現在の舟橋

 富山市中心部を流れる松川は、もともと神通川の本川であったことはよく知られていると思います。1896年(明治29年)の大水害後、本格的な神通川改修が始まりました。現在の富山市松川に架かる舟橋には、当時、富山城址の東側と愛宕神社付近の間に舟を並べた橋が架けられていました。重機のほとんど無い時代に、馳越線工事と呼ばれる賢い工法によって神通川は徐々に直線化し、旧水路は廃川地となり、新たな都市計画へと発展していきました。

 富山駅南北間には若干の高低差があることは、富山駅を挟んで南北で運行している富山地方鉄道と富山ライトレールの路面電車の接続のニュースで話題にもなりましたが、当時の廃川化にともなう土地改良によるものです。富山市発展の基礎となった神通川改修による影響は、現在でも残っており、歴史の重要性を改めて知る良い機会ではないでしょうか。

旧神通川の左岸側にあった常夜燈

愛宕神社

 近年では、松川の水質保全と内水等の浸水被害の軽減のための松川雨水貯留施設整備事業など先端技術による治水安全度の向上が計られています。

先人たちの知恵

 少子高齢化社会が叫ばれて久しいにもかかわらず、限られた税金の使い道について正面から議論されてきていません。一般向け講演会などで、「水害のハード対策はどれくらい必要なのか?」という質問を受けることがありますが、私はいつも「あなた次第です」ないしは「有権者次第です」とお答えします。

 「公」に全てを任せたいのであれば、相応の税金を納めなければならないでしょう。しかし、それが嫌でしょうから、現状の予算で最大限できることを求めるしかありません。

 3.11の大震災以降、河川分野においても気候変動に適応した治水対策として、“粘りのある”防災・減災対策が流行になっています。設計外力(例えば100年に1度の大雨など)を超過しても、被害が爆発的に増大しないような対策が求められています。また、人的被害を最小限にするということが明確になりつつあります。

 ここで、「防災意識の向上」といった難しいことは必要ありません。ご自分の年輩家族・親戚、近所のシニアたちに土地について聞いてみるだけでよいのです。たとえ今は海、川、沼などが近くになくても、“水”に関係した漢字が含まれる地名は、水辺に関連した地質であることが多いのです。

 「川」「河」「江」「沢」「瀬」「浦」「池」「沼」「袋」「泉」「井」「汐」「潮」「浜」「洲」「須」「田」や、その他の“さんずい”が付く漢字などの地名は近くにありませんか。周辺の古い家は嵩上げしていませんか。子供と一緒に地図を眺めてみるだけで、ご自分の家の水害脆弱性を確認できることがあります。

 また、水は高いところから低いところにしか流れませんから、地形図をご覧になり、ご自宅周辺の高低差を確かめることができます。他にも、農業用水路は旧河川を利用していることが多いので、それもヒントになろうかと思います。こういったことを、ぜひ、次世代、次々世代へと伝承していただきたいです。

終わりに

 富山県の河川のほとんどは扇状地性であるため流路が安定しません。黒部川では四十八ヶ瀬とも呼ばれ、川筋の多さを言い表しています。しかしこのことは、河川を河道化し、まるで1本の河川のように堤防で治めてしまった現代ではほとんど理解することはできません。

河道内を網状に流れる河川(高岡市上麻生付近から上流を撮影)

 身近には、橋の上から河川を眺めると川が網状になっていることがわかります。Google mapの航空写真をご覧になったらもっとよくわかるかと思います。少し大きな洪水の後、川を見ると、川筋が変わっていることがあります。これが本来の富山県の河川であり、これが河川の恐ろしさでもあります。

 流路、川筋が安定しないということは、堤防や橋脚等河川構造物にどのような流体力が影響するのか予測することが困難であることを意味します。対症療法に頼るところが大きく、原因療法は難しいのが実情です。構造物による対症療法だけでは限界があり、県民一人びとりの防災・減災意識の向上が必要不可欠です。難しいこと、面倒くさいことを求めているのではありません。散歩をしながら川を見る、程度のことでも環境の変化を感じ取れます。ぜひ、お子さんやお孫さんを連れて川を見てください。

 今回は、川からみた富山の土木の歴史をごく簡単に述べさせていただきましたが、先人たちのDNAを受け継ぎ、安全・安心な社会を持続させるのは、県民一人びとりです。

 富山の土木史については、建設省入省後、富山県土木部長等を歴任され、富山県の土木史で博士学位論文を書かれ、多数の著書がある白井芳樹氏の『都市富山の礎を築く』(技報堂出版)や『とやま土木物語』(富山新聞社)にとても詳しく書かれていますので、ぜひご一読ください。

 最後に、5月18日(土)午前に庄川・小矢部川総合水防演習が大門カイトパークの河川敷で開催されます。筆者は、小学5年生とその親御さんを対象とした防災講義をいたします。その他にも防災体験などもありますので、ぜひお越しください。

てばかり・たいち

東京都出身。中央大学大学院理工学研究科修了後、土木研究所、福岡大学を経て富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科准教授。土木工学、水理学、水文学、水資源学を専門とする。

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