とやまの土木─ 過去・現在・未来(3) 洪水災害の歴史とハザードマップ

富山県立大学工学部 環境・社会基盤工学科教授 高橋 剛一郎 

 洪水災害を免れる、あるいは洪水災害の被害を最小限にするためにはまず自らの立地の特徴を知ることが大切である。富山の平野は扇状地が主体で、一部その下流に形成される低平な平野が広がっている。これらの平野ではそこで起こる洪水のすがたかたちが異なっている。そのような特徴を知ることが自らの立地の特徴を知るということである。

富山の水害

 本題に入る前に、富山の平野で起こった代表的な洪水災害や大洪水について見てみよう。
 
 まず神通川では、1914(大正3)年に大規模な洪水が起こり、被害は死者54名、行方不明者60名、全半壊流失家屋328戸にのぼるものだった(富山県内分、以下同じ)。1920(大正9)年には死者22名、床上浸水791戸、床下浸水860戸の災害が起こった。また1953(昭和28)年には死者6名、行方不明2名、全半壊家屋47戸、浸水面積3,800haの被害が出た。

 以後は1958(昭和33)年、1965(昭和40)年、1972(昭和47)年、1979(昭和54)年、1983(昭和58)年、1999(平成11)年、2004(平成16)年、2006(平成18)年、2014(平成26)年、2018(平成30)年などに被害が出る洪水があったが、被害規模は徐々に小さくなってきている。また、人的被害は1965(昭和40)年の災害で負傷者1名が出たのが最後である。

 歴史的には1580(天正8)年に流れが呉羽山の麓から東に転じ、富山城の脇を流れるようになったとある。被害の具体的な記録は見当たらないが、相当な被害があったことが想像される。

 庄川では、明治時代に30回の洪水災害の記録があり、中でも1896(明治29)年には二塚村などで堤防が決壊し、洪水流が千保川に流入し高岡市で被害が発生した(家屋流出248戸、浸水家屋2,605戸、浸水面積180ha)。昭和になってからも災害は続出した。1934(昭和9)年には浅井村(現射水市)で堤防が決壊し、死者20名、負傷者240名、流出家屋94戸を数える大きな災害となった。 

 その後も1959(昭和34)年、1961(昭和36)年、1975(昭和50)年、1976(昭和51)年、1983(昭和58)年、1985(昭和60)年、2004(平成16)年などに洪水が発生したが、神通川同様被害の規模は徐々に小さくなってきている。

 歴史的に大きな出来事としては、1585(天正13)年に大地震により上流で天然ダムが形成され,それが崩壊して現在の川筋に変わった。

 他の河川の例を簡単に記しておく。富山での治水を語る上で無視することのできない災害として、常願寺川における1858(安政5)年の災害がある。岐阜県北端から立山に伸びている跡津川断層が地震を引き起こし、崩壊土砂が常願寺川上流部で天然ダムを作り、それが決壊して大洪水が常願寺川扇状地に流れ込んだ。その結果、死者140名、負傷者8,945名、流出家屋1,603戸にのぼる大災害となった。

 富山県東部の災害としては、1969(昭和44)年の洪水災害が特筆される。常願寺川以東の多くの河川で多かれ少なかれ被害が生じた。黒部川では浸水面積1,050ha、全半壊7戸、浸水846戸の被害が生じた。このときの豪雨では中小河川での氾濫が多く発生し、早月川、上市川、白岩川などの各地で災害が生じた。

扇状地での水害

 以上のような多くの災害は扇状地で生じている。その災害の形態は扇状地の成り立ちや地形の特徴と関係している。

 扇状地は、大洪水時に高濃度の土砂を含んだ洪水流が氾濫堆積して形成される。その際、流路を塞ぐようにして土砂が堆積し、流路は一気に方向を転じ、新たな流路が形成され、それ以前の流路は旧流路として取り残される。

図1 黒部川扇状地の土地区分。青色の部分が旧流路。
(http://nrb-www.mlit.go.jp/kokjo/tochimizu/F5/MAP/516001.jpg より)

 図1に黒部川扇状地を示した。青色で表示されている部分が旧流路である。扇頂部を頂点に放射状に分布しているのがわかる。ここはその周囲とくらべて若干標高が低く、旧流路とはいえ流水があった。現在ではその多くが用水路となっている。

図2 黒部川における氾濫実績(昭和27年及び昭和44年)(http://www.hrr.mlit.go.jp/kurobe/bo_info/hazardmap/pdf/siryo.pdfより)

 現在は堤防によって河川の範囲は規制されているが、破堤や越流が生じると洪水流は旧流路を中心に流下し、横方向への広がりは大きくない。図2に黒部川扇状地の氾濫状況を示した。図1の旧流路に沿って氾濫が起こっていることがよくわかる。氾濫流は高速なため、短時間のうちに下流に達し、たとえ水深が深くなくてもその中を安全に移動することは困難である。これが扇状地における洪水氾濫の特徴である。

低平地での水害

 扇状地より下流では自然堤防帯と言われる低平な平地が広がる。堆積土砂は扇状地よりも細かくなる。流路は、扇状地では直線的な流路でそれが一気に変動するのに対し、ここでは河岸を徐々に削って蛇行が発達する。

図3 神通川と常願寺川下流部の土地区分。青色の部分が旧流路。
(http://nrb-www.mlit.go.jp/kokjo/tochimizu/F5/MAP/516001.jpg より)

 図3に神通川と常願寺川の下流部を示した。旧流路がうねっているのがわかる。常願寺川の河口付近でもかつて流路は大きく東へ転じていたが、明治以降現在の川筋に人工的に変えられた。もしこのような低平地が下流域までさらに広がっていれば、かつての石狩川のように大蛇行した川筋が発達したことだろう。

 このような低平地では、洪水流が氾濫すると河川を中心に河川の水が平地に浸入する。低平地全体にわたって相対的な低地を中心に氾濫流が拡散していく。扇状地と比較するとより穏やかに浸水していくが、場の条件によっては高流速になることもあるので油断は禁物である。

洪水災害の想定とハザードマップ

 このように、扇状地とその下流に発達する低平地では、場の特性によって洪水が氾濫したときの水の振る舞いが異なっている。自分の住んでいるところや多くの時間を過ごすところがどういう場なのかを把握し、そして洪水氾濫が起こったらどういうことが起こるのかを想像しておくことは重要である。

 扇状地,特に旧流路の近くでは氾濫すると短時間のうちに洪水流が押し寄せる可能性があり、自然堤防帯では氾濫はより穏やかである。とは言え、場所によっては素早く水が押し寄せる可能性はある。高流速の氾濫流は浸水だけでなく自動車や流木などが流され、これらが建物に衝突して建物の破壊という被害も引き起こすことが多い。

 自分の居場所がどういう場所か、洪水災害に関してどのような危険性があるかを知るのに極めて有効なのが洪水ハザードマップである。

 国土交通省の富山河川国道事務所、黒部川事務所や富山県などの河川管理者が流域に降る雨の量や堤防が切れる場所などを想定して浸水想定区域図を作り、市町村が避難場所等の情報を記入して完成させるものである。洪水が起こったときの氾濫範囲やその水深が図示され、さらに避難場所や被害軽減のための関連情報がまとめられている。
 
 西日本で多くの被害をもたらした平成30年7月豪雨では、倉敷市真備町で高梁川と末政川の付近で氾濫が起こり51名の方が亡くなられた。ここでは洪水ハザードマップができており,浸水した区域と予測した区域はほぼ同じであったにもかかわらず、多くの犠牲者がでてしまった。その要因の一つに、ハザードマップは倉敷市の全戸に配られていたものの、認知度が低かったことが関係していると言われている。

 現在、洪水ハザードマップは自治体により配布されていることも多い。インターネットでも公表されており、「○○市洪水ハザードマップ」等のキーワードで簡単に見つけることができる。ぜひともご覧になって、自分の居場所の情報を知っていただきたい。

たかはし・ごういちろう
富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科教授。富山県黒部市出身。大学では農学部林学科砂防工学研究室に所属し、砂防工学、森林科学などを学ぶ。1983年富山県立技術短期大学農林土木科助手となり、2009年富山県立大学工学部環境工学科准教授を経て現職。砂防工事などの防災工事と自然環境の保全の調和を目指した工種・工法の研究を主たるテーマとする。農学博士。

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