とやまの土木─ 過去・現在・未来(2) 水荒の地、富山の特性と治水

富山県立大学工学部 環境・社会基盤工学科教授 高橋 剛一郎 

 近年は以前に増して豪雨が発生し、全国各地で降水による災害が起こっている。幸い富山県では全国ニュースになるほどの大きな水害は起こっていない。しかし、それは富山が〝安全な場〞であるということではなく、たまたま他の地域で起こったような著しい洪水に見舞われなかったという偶然と、先人の方々による防災工事のたまものという必然の組み合わせによる幸運の結果である。決して富山が他地域に比較して頭抜けて安全度の高い地域ということではない。

 歴史を振り返れば、むしろ富山は水害常襲の地であった。これについて興味深い新聞記事がある。
 「治水(ちすい)は県政の重要課題になりました。1885(明治18)年から1915(大正4)年までの県の一般会計をみると、半分近くが土木費で占められ、このうち77%が治水堤防費(ていぼうひ)にあてられ」(北日本新聞2013年12月5日付け記事)たとある。
 つまり、この期間の一般会計予算の実に4割近くが治水堤防費に充てられたということになる。まさに、知人の言葉を借りて表現すれば、富山は“水荒の地”であったといえる。

 災害を免れる、あるいは災害の被害を最小限にするために重要なことの一つに、自らの立地に対する正確な評価と自覚を持つことが挙げられる。 
 危険地帯にいることに無関心で自覚がないことが被害のリスクを高め、また被害の程度を拡大することにつながるのは自明であろう。洪水災害を少しでも少なくするために、またそのために何が必要かを考えるために、まずは洪水災害という観点から富山の平野の立地を理解していただきたい。

川が作る平地の種類

 富山の平野の大半をつくってきたのは河川である。河川が運んできた土砂が堆積してできた平野である。このような成因の平野であるが、いくつかの種類に分けられる。

図1 扇状地の模式図
「新版日本の自然4 日本の平野と海岸」(岩波書店)より

 川が山間地から平地に出てくるところでは、流路を拘束する両岸の斜面はなくなる。また河床勾配が緩くなる。このため、洪水流によって運ばれてきた土砂はこの部分で堆積し、扇状地を形成する(図1)。

 扇状地の主な特徴として、平地への川の出口(扇頂)を要(かなめ)とした扇形の平面形状をしていること、堆積する土砂は比較的粗いもの(砂、砂利、礫)が主体で、巨礫を交えることもあり、平地とはいえ1/100程度の緩やかな勾配であることなどが挙げられる。
 扇状地を形成する主因である、大量の粗粒の土砂を含む洪水流が延々と長距離を移動することはない。粗粒の土砂はある程度の距離の範囲に止まる。すなわち、扇状地は延々と下流に発達することはなく、扇頂から10km程度の規模になる。扇状地より下流へは流送される土砂は細かくなる。

 これによって形成される平地は扇状地と異なった性質を持つ。洪水時には流路の両側に土砂が堆積し、微高地が形成される。このようにしてできた微高地が自然堤防である。自然堤防の外側には後背湿地や氾濫平野といわれる平地が広がる。このような平地を自然堤防帯という。
 ここでは平地の勾配は扇状地より緩く、平地を構成する土砂は砂よりも細かい成分が主体となる。河川が海へ注ぐところでは、自然堤防帯とは異なった形成過程と性質を持つ三角州(デルタ)が発達することがあるが、富山の河川でこれを持つものはない。

富山の平地の主役は扇状地

 このように、河川下流部に形成される平野は富山では扇状地とその下流にできる自然堤防帯が該当する。中でも富山の平野を代表する平地が扇状地である。扇状地は山地から多量の土砂礫が供給されて形成されるものであるから、上流域からの土砂供給が活発な河川で発達する。

図2 富山の土地区分 ピンクの部分が扇状地
国土交通省GIS(地理情報システム)土地保全図(http://nrb-www.mlit.go.jp/kokjo/tochimizu/F5/MAP/516001.jpg )より

 県東部の河川は北アルプスを、また西部の庄川では白山を水源とする。標高が高く起伏が激しいこと、地質的に脆く土砂供給が活発であることから、扇状地が形成される条件は整っており、日本を代表する黒部川扇状地や、常願寺川扇状地などが形成されている。このほかにも片貝川、早月川、神通川、庄川など、県内主要河川では扇状地が発達している(図2)。そして、富山市をはじめ主要な町の多くは扇状地の上に成り立っている。
 一方、上流に高山を持たず土砂供給も穏やかな小河川(射水市の下条川や、氷見市の河川など)では扇状地は形成されていない。
 黒部川、片貝川、早月川などでは扇状地の下流端(扇端)が海岸付近であったり、扇状地のまま海岸となっていたりして、自然堤防帯は発達していない。常願寺川、神通川、庄川では扇端より数km程度低平地が広がっている。

海が作った射水平野

 河川が作る平野について述べてきたが、富山には海が作った平野も存在する。 それは射水平野である。本稿は河川の問題を主眼としているので、これについてはごく簡単に触れるだけにとどめる。
 射水平野は非常に低平な平野である。縄文時代は今よりも温暖で海水面も高く、縄文海進といわれる海の内陸への拡大が起こり、射水平野は浅い海となっていた。そのときに泥や砂が堆積し、海岸線の後退に伴ってそれが陸地表層となった。堆積土砂はまったく固まっておらず極めて軟弱な平地となっている。かつて、新湊の水田が腰まで埋まる泥田だった所以である。
 射水平野の成立についてはアーバンクボタNo.31 の藤井昭二氏の解説に詳しく述べられている。こちらのサイトで簡単に読むことができるので、興味のある方はご覧になることをお勧めしたい。

扇状地と湧水と人とのつながり

 扇状地や自然堤防帯の形成過程や性質が洪水災害に大いに関係してくる。これについては次稿で解説することにすることとし、本稿の最後では富山の名水、湧水と扇状地の関係について若干脱線しておこう。 

 扇状地は粗粒の土砂礫で構成されていると書いたが、それがよくわかるのが図3である。これは黒部川扇状地の扇央部、北陸自動車道と黒部川が交差する付近、入善町にある清涼飲料水工場の近くで撮影したものである。

図3 扇状地表層の堆積物の状況(黒部川扇状地扇奥部にて)

 最大礫径は1mに近く、礫と砂や砂利がランダムに混ざっている。そのため、ここではたいへん水はけが良い。水は地表に止まらず地下を流れることが多い。水田には不向きで、水を多く必要としないクワや果樹などが作られるのが一般的だった。黒部川扇状地では細粒の土を客土(流水客土)することによって、表層を水保ちのいい状態にして水田を改良してきた。

 浸透した水は、扇端(扇状地の下流端)で地上に湧き出す。これは扇状地で一般的に見られる現象である。富山の扇状地でも扇端で多くの湧水が見られる。昭和の名水百選の「黒部川扇状地湧水群」、平成の名水百選の「行田の沢清水」と「いたち川の水辺と清水」は、それぞれ黒部川、早月川、常願寺川の扇端にある湧水である。
 平地できれいな水が湧き出す泉があるところは、古くから人が住み着いてきた。そういうところは水や泉にちなんだ地名となっているところがある。
 いくつか例を挙げれば、清水町は富山市にも高岡市にもある。富山市には大泉、堀川小泉がある。高岡市の清水町は庄川扇状地の扇端である。庄川の東側には浅井という地名がある(射水市旧大門町)。これらの地域には今でも自噴泉や、井戸を利用してきた痕跡が見られる。このように、扇状地の構造と水の動き、そして人の営みは密接な繋がりがあるのである。

たかはし・ごういちろう
富山県立大学工学部環境・社会基盤工学科教授。富山県黒部市出身。大学では農学部林学科砂防工学研究室に所属し、砂防工学、森林科学などを学ぶ。1983年富山県立技術短期大学農林土木科助手となり、2009年富山県立大学工学部環境工学科准教授を経て現職。砂防工事などの防災工事と自然環境の保全の調和を目指した工種・工法の研究を主たるテーマとする。農学博士。

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